1. 朝練が「当たり前」だった私の少年時代
私は小学生の頃から、全国大会常連のいわゆる“強豪チーム”に所属してきました。中学・高校、そして大学まで、常に「勝利至上主義」と言われるような環境の中で、毎日必死に練習に取り組んできました。
朝は早朝から練習、放課後は夜遅くまで練習。さらにその後は民間のチームの練習に加わり、一日3部練。食事と睡眠以外はほぼすべて競技に捧げていたと言っても過言ではありません。
当時の私は、「勝つためには、苦しさを乗り越えるしかない」と本気で思っていました。人よりもセンスがなく、これといった強みもなかったため、勝つためには努力と時間をかけるしかありませんでした。
2. 指導者になっても続けた「朝練」
そんな私が、指導者としてチームを持つようになってからも、「朝練」は“当然”のように続けていました。
午前7時から8時まで。毎日、子どもたちと一緒に朝日が昇る時間からグラウンドに立ち続けました。
自分がされてきたように、自分も教える。伝統を守るという意味でも、これが最善だと信じていたのです。

3. ふと芽生えた疑問。「本当に効果はあるのか?」
しかし、ある時ふと、心に引っかかるものが出てきました。
それは、朝練に「本当に意味があるのか?」という疑問です。
- 練習中にぼんやりしている子どもがいる
- 授業中に眠くなってしまう子がいる
- 明らかに疲労がたまって、ケガをする子も増えてきた
そして、何よりも――
「練習が楽しくない」と口にする子が出てきたのです。
これは、私にとって衝撃でした。
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4. 子どもたちの“限界”に気づいた
日々の練習、試合、遠征、加えて毎朝の朝練。
一見すると「努力している」「真面目に頑張っている」ように見えますが、力をつける選手がいる一方でよく見ると心も体もすり減らしている子どもがいました。
中には、成績が急落したり、授業中に居眠りが増えたり、精神的に不安定になる子も。
これは「鍛えている」のではなく、「追い込んでしまっている」のではないか?
「チームのために」と思ってやってきたことが、逆に子どもたちの可能性を潰しているのではないか?
そんな思いが頭を離れませんでした。

5. 思い切って朝練を“やめた”
そして私は、指導者として大きな決断をしました。
「朝練をやめよう」と。
もちろん、不安はありました。
「勝てなくなるのではないか?」「保護者からの反発はないか?」「生ぬるいと見られないか?」
でも、最終的に背中を押したのは、子どもたちの表情でした。
疲れた顔をして、ぼんやり立っている彼らに、「これで本当に強くなれるのか?」と問いかけた時、答えは自ずと出ていました。
6. 朝練をやめて起こった“変化”
朝練をやめたことで、思わぬ変化が起こりました。
子どもたちの生活に“ゆとり”が生まれた
まず、子どもたちに笑顔が増えました。
しっかり朝ごはんを食べて、余裕を持って学校へ行く。その当たり前の生活が戻ってきました。
自主練を始める子どもたちが増えた
驚いたのは、自主的に練習を始める子が増えたことです。
夕方の練習以降に残って自主練をする子。空き時間に筋トレを始めた子。自分でメニューを考えて動く子も出てきました。そして先輩のその姿を見て真似をして自主トレを始める後輩たち。
「やらされている朝練」ではなく、「自分でやる練習」。
そのモチベーションの違いは、技術の上達にも明確に表れてきました。
あえて「与えない」からこそ「欲する」ようになり、子どもたち自らが工夫し、行動に移すようになりました。

私自身にも時間ができた
そして、これは指導者としても大きかったのですが、朝練をなくしたことで、私自身にも時間の余裕が生まれました。
- 指導法についての勉強
- 他チームの視察
- 子どもたち一人ひとりと向き合う時間
「勝たせる」ための準備に、より質の高い時間を使えるようになったのです。
朝練をしていた時は、自分のための時間の確保ができませんでした。つまり今までの経験から子どもたちへのアプローチを行うことしかできなかった。
昔の子と今の子は変化している。その変化に対応するためには過去の経験ばかりを頼りにしていてはいけないと感じていました。
朝練を無くし代わりに得た時間を使って、知識のアップデートに使うことができるようになりました。
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7. 苦しさだけが“強さ”ではない
私自身、苦しい練習を乗り越えてきた経験があるからこそ、わかることもあります。
「苦しさは、必ずしも強さにはつながらない」ということです。
もちろん、スポーツにおいて「努力」や「我慢」は必要です。
でも、その努力が“自発的なもの”でなければ、限界を越えた先には「燃え尽き」しか残らない。
いわゆる「バーンアウト症候群」。
学校の限られた期間で成績を残さないといけない中、詰め込まれた結果、引退と共にこのバーンアウトになる子が多いように感じます。
無理をさせて、競技を嫌いにさせるくらいなら、少し物足りないくらいの余白を残してあげたい。
その余白が、子どもたちに「もっとやりたい」という気持ちを育てるのです。
8. 最後に:朝練をやめて、得たものの方が多かった
正直に言うと、朝練をやめてからもしばらくは不安でした。
ですが今、私は心から「やめてよかった」と思っています。
- 子どもたちの心と体に余裕ができた
- 主体性が育ち、練習の質が上がった
- 指導者としての自分も、より学びを深めることができた
“量”ではなく“質”の時代。
子どもたちの未来を考えるなら、まずはその生活の一部であるスポーツ指導を、変えていく必要があると思っています。
朝練は「やるべきもの」ではなく、「目的があってこそ意味があるもの」。
もし今、あなたが指導者の立場にいて、同じような迷いを持っているなら、一度立ち止まって見直してみる価値はあるはずです。
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