せっかく投稿したのに反応がない。さみしい
いいねがもらえない。つまんない
アンチコメントが届いた。むかつく
SNSをするうえでこのような感情を抱いたことはありませんか?
自分で好きではじめたSNS。
それなのにどうしてこんな不愉快な思いをしてまで人はSNSを続けるのでしょうか。
本記事を読めば自分がSNSを真に楽しめる考え方を知ることができます。
- 承認欲求とは
- 人は「目的ありき」で行動する
- 「他人の課題」に踏み込まない
- 「共同体感覚」は誰かの役にたちたいという思い
はじめに
本記事はSNSにおける承認欲求をアドラー心理学の観点から筆者の考えを交え記述しています。
そもそもアドラー心理学が承認欲求に対し否定的な考えを持っているため、SNSとの相性は対をなす部分が多くあります。
本記事はあえて反対意見を述べるアドラー心理学の見解からSNSにおける承認欲求を考え、どうすればSNSをより良く活用することができるかを述べます。
現代において、SNSは私たちの日常生活に深く浸透し、日常の何気ないことを投稿したり情報共有したりできる重要なツールとなっています。
誰もが簡単に投稿ができる一方で、「いいね」やコメントといった反応が、私たちの感情や行動に影響を与えることもしばしばあります。
その背景には、人間が持つ「承認欲求」という本能的な感情が関係しているとよく指摘されます。
(参考)承認欲求とソーシャルメディア使用傾向の関連性(加納寛子)
上記の研究からは、承認欲求の低い人はSNSの運用頻度が低く、承認欲求が高い人ほどSNSの運用頻度が高いと分析しています。
しかし、この「承認欲求」とどのように向き合うべきか、そしてSNSとの健全な関係を築くにはどうすればよいのかを考えるとき、アドラー心理学が提供する知見は非常に示唆に富んでいます。
本記事では、承認欲求とSNSの投稿における関係性を掘り下げ、アドラー心理学の観点から「自己価値」と「他者の評価」について考えていきます。
承認欲求とSNS投稿の関係性
承認欲求ってなんだろう
承認欲求とは、「他者から認められたい」「評価されたい」という人間が本能的に持つ欲求の一つです。
マズローの欲求5段階説においても、承認欲求は「自己実現」の一段手前に位置づけられており、誰もがこの感情を持つことは自然なことだと言えます。
現代社会においてはXやInstagramなどのSNSの普及によって、この承認欲求が簡単に満たされる仕組みができました。
たとえば、写真や文章を投稿すると、「いいね」やコメントがすぐに返ってきます。
この他者からの反応は、人間の脳内で快楽物質であるドーパミンを分泌させ、幸福感や満足感をもたらします。
簡単に快楽物質を得るために、多くの人が「いいね」を集めるための投稿を繰り返したり、
場合によっては他者の反応を過度に気にしたりするようになります。
「いいね」がつくと気分がよくなるのは承認欲求が満たされているように感じているから
承認欲求が強くなるとき
- 自己肯定感が低いとき
- 社会的な孤立感があるとき
特に承認欲求が強くなるのは、次のような状況が背景にある場合です。
•自己肯定感が低いとき
人は、何かに行き詰まって自分の価値を信じられないとき、他者からの評価を通じて自己価値を確認しようとします。
SNSでは、この「他者からの評価」が「いいね」やコメントという形で可視化されるため、はまりやすくなるのではないかと考えます。
•社会的な孤立感があるとき
人は、社会に孤独を感じ、誰かとのつながりを感じたいとき、SNSがその「つながり」を満たします。
ただし、注意しなければならないのは、SNS上での関係は必ずしも深い絆とは限らないため、満たされない思いが募る場合もあります。
時には他者の投稿を見て、逆に疎外感や孤独感を感じたり、嫉妬が芽生えたりすることもあります。
アドラー心理学から見る承認欲求
アドラー心理学の創始者であるアルフレッド・アドラーは、承認欲求に対して否定的な考えを持ちます。
アドラーは、「他者から認められる(承認される)ことを目的に生きる人生は、本当の意味で幸福になれない」と考えました。
アドラー心理学の観点から、承認欲求に基づく行動がどのような問題を引き起こすのかポイントを見ていきましょう。
アドラー心理学における「目的論」
人は「目的ありき」で行動する
アドラー心理学では、心理学者フロイトの「原因論」を真っ向から否定しています。
人間の行動はすべて「目的」に基づいていると考えます。
「何のために」行動が行われているのかが重要だと考える心理学です。
SNSへの投稿も同様です。たとえば、以下のような投稿があるとしましょう。
・食事の写真を投稿して「美味しそうだね」と言われたい
・誰かと一緒にいる写真を投稿して「いいなぁ」と羨ましがられたい
・セクシーな写真を投稿して「エロい」と評価されたい
これらの行動には、「他者から評価されたい」「羨ましがられたい」「裏垢として成功していると思われたい」「安心を与えたい」という目的が隠れている場合があります。
このように、承認欲求が行動の目的となってしまうと、他者からの反応に振り回される結果を招きます。
しかし、期待通りの反応が得られないときには、自分の価値を否定的に捉えてしまう可能性が高くなるのです。
「他人の課題」に踏み込まない
コントロールできない「他人の課題」。コントロールできるのは「自分の課題」
アドラー心理学の重要な考え方の一つに、「課題の分離」という概念があります。
「課題の分離」とは、自分でコントロールしようがない他者の課題には介入せず、自分ができることに注力する思考法です。
例えば、好きな人とのデートでパートナーが楽しんでくれなくてイライラしている自分の場合。
「課題の分離」を用いて考えると、「デートを楽しまない」はパートナーの課題で、「イライラする」は自分の課題ということになります。
これは、「自分の課題」と「他人の課題」を明確に分けることを意味します。
SNSでの投稿において、「他人がどう感じるか」「他人がどう評価するか」は、本来「他人の課題」です。
つまり、自分がコントロールできる範囲を超えている部分であり、それに執着する必要はないのです。
アドラーは、「他人の期待を満たすためではなく、自分が本当にやりたいことを目的として行動すべきだ」と述べています。
自分じゃどうにもならないことに悩んでも仕方がない
無意識的に他人の土俵に土足で上がってしまっているにも関わらず、他人をコントロールできない現実に嫌気がし、他人を否定し自己嫌悪に陥るのです。
そもそも他人の課題に踏み込むべきではないとアドラーは説いています。
オアシスに馬を連れて行くことはできるが、馬に水を飲ますことはできない。
SNSとの向き合い方を再考する
自分の投稿の「目的」を振り返る
「目的」と「共同体感覚」
アドラー心理学に基づけば、SNSの投稿をする際には、その「目的」を振り返ることが重要です。
以下の問いを自分に投げかけてみてください。
1. その投稿は自分が心から楽しんでいるものか?
承認欲求に基づく投稿は、他者の評価を気にしすぎるあまり、自分の感情や楽しさを見失いがちです。
自分が心から伝えたいことや共有したい気持ちが原動力であれば、他者の反応に左右されることなく満足感を得られるでしょう。
2. 投稿によって誰かの役に立つか?
アドラー心理学では、「共同体感覚」が幸福の鍵とされています。
他者に貢献することや、誰かの役に立つ行動を通じて、本当の満足感が得られると考えられています。
たとえば、SNSの投稿が誰かの知識や発想や問題解決につながる内容であれば、自己満足を超えた価値を生み出すことができます。
あくまでSNSは自由に投稿するもので、何をポストしても私に何を言う権利はありません。
ただ、場合によってはその投稿が他人にとって「ただのノイズ」になるかもしれない、承認欲求すら満たせないポストにもなる可能性があるということを知っておくと良いでしょう。
他者の反応に囚われないマインドセット
アドラー心理学では、「他者の評価」はコントロールできないものとして捉えます。
SNSでどんなに素晴らしい投稿をしても、それに対してポジティブな反応をするかネガティブな反応をするかは他者の課題です。
そのため、自分の投稿が「いいね」やコメントをどれだけ集めるかに執着しすぎると、不必要なストレスや自己肯定感の低下を招く可能性があります。
むしろアンチコメントが届いた場合には気が気でなくなるでしょう。
なんだこいつ、何バカなこと言ってるんだw
アンチコメントだ!どうしよう、なんでこんなこと言われないといけないの!?つらい、こわい、むかつく!
重要なのは、「他者の反応がどうであれ、自分がその行動に価値を感じるか」という内的な基準を持つことです。
まとめ:SNSと健全に向き合うために
承認欲求は誰もが持つ自然な感情です。
しかし、Xを扱う上でその欲求に振り回されるだけでなく、うまくコントロールできない人、他者の反応にうまく対応できていない人をしばしば見かけます。
アドラー心理学の視点では、他者の評価ではなく、自分自身の価値観に基づいた行動が、真の幸福感や満足感をもたらすとされています。
SNSは便利で楽しいツールですが、その使い方を見直すことで、よりポジティブに活用することが可能です。
裏垢においても全く同じことが言えると私は考えます。
承認欲求にとらわれるのではなく、自分が伝えたいこと、そして他者に貢献できることを意識した投稿を心がけることで、より充実したSNS運用ができるのではないでしょうか。
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